Thinking out loud 004
2021/07/23
nora.icon「虚構と現実の区別がついていない」というフレーズを随分前に聞いたが、当時は「現実に虚構を持ち込んで非現実的な思考・言動を取る」ということを主にイメージして使われていたような気がする。
nora.iconしかし昨今感じるのは、「虚構に現実を持ち込みすぎ」ということの方。それは作風がそうというのではなく、読み手の態度の話である。もしかしたら「現実を持ち込んだ虚構」が増えていることでその傾向が加速したというのもあるかもしれないが、それはデータが私のもとには何もないのでただの憶測の域を出ない。
nora.icon最近見たのは、明らかに現代ではない時代(具体的には江戸時代)を舞台にした話であるのに、その中で登場人物が言った「これは女がやることじゃない」的な台詞に対して「男尊女卑だ!」と腹を立てるような感想。その描写が現代で登場したり、その描写が現代に残る男尊女卑思想を強化したりするようなことがあればそれは確かに非常に不愉快だが、その感想に対しては果たして「虚構である」という感覚を確かに持てているのだろうかと不安にならざるを得なかった。
nora.iconしかも、既に相当気を使ってマイルドに表現されていたように思えて、むしろその作品の方がアリバイ的に「江戸時代なのだから男尊女卑を描かないとリアリティがないと言われるだろう」と考えて仕方なく差し込んだ台詞に見えた。実際のところはどうなのか私には知る由もないが、虚構であることを踏まえれば(というか現実にあってさえ)個人的には気分を悪くするような描写ではなかった。
nora.iconこの感想のことから言えば、「虚構に現実を持ち込みすぎる」ことの原因のひとつは「現実を知らない」からだろうと感じる。現実を知らないから目の前にあるその虚構がなぜそこにその形で存在しているのかがわからない。虚構としてわざわざ描いているということの意図を読解できない。そして自分が体験している半径数メートルみたいな世界の「現実」とのギャップに怒る。
nora.icon現在の社会がどれだけの努力と試行錯誤によって改め続けられて出来てきたのかを知らない。これは物事を認識する上で致命的である。
nora.iconキャラクターに対して常に「人として真っ当か」という観点でのみ評価するのってどうなんだろう。そういうのは現実世界で間に合っているのだが…。
nora.icon現実世界での生活が実質暇だから虚構についてそんなことが言っていられるのかもしれない。
nora.icon「それどころじゃない」と言うくらい必死になることがない。
nora.icon女性キャラクターの二次元イラストに脊髄反射でブーブー文句言う人とかも日常生活実質暇そう。(偏見)
nora.iconそういえば、フィクションの登場人物・キャラクターについて何か不快に思った時、自分の周囲は「こういうやつ現実で見ると本当嫌なんだよなあ」というふうに言うのに対して、時々見る自分と噛み合いそうにない人々は「このキャラ嫌い」と言う。
nora.iconどうも本当にその登場人物・キャラクターに対してヘイトを向けているらしい。存在している次元違うのに。
nora.iconでも登場人物・キャラクターに対して推すとか嫁とかいうのを「普通」とするならば、直接ヘイトを向けるのも「普通」ということになるのだろうか。
nora.iconただ、登場人物・キャラクターを好きであるということには次元の違いに直面する悲哀があるけど、ヘイトは次元の違いを意識すること自体がない気がする。こいつ嫌い、で終わる。
nora.iconフィクション(のうち実写でないもの)での正しくなさに対して、そのフィクションがフィクションとして楽しむものとして存在しているにも関わらず本気で不快に思うのは、虚構と現実の境界がゆるゆるになって自分が虚構に入ってしまっていることに気づいていないということになるのではないか…。
nora.icon「そのフィクションがフィクションとして楽しむものとして存在しているにも関わらず」という断りを入れたのは、「啓蒙のためのフィクション」は別だという意味です。
nora.icon例えばマイノリティの実情を知らせたいという動機によって描かれたフィクションが、肝心のそのマイノリティにとって冒涜だということがしばしばある。それはまあ駄目よね。駄目だと思う。
nora.iconエンターテインメントはエンターテインメントですとはっきり示してそういう了解を取ることによって、感情的にある程度まで許されている。
nora.icon真似する人間が明らかに多いと予見される状況で特定の属性を虐げる表現をしたら非難されるだろうけども。
nora.icon線引は曖昧である。
nora.iconWikipediaに寄付した。少額だけど。
nora.icon今まで寄付したことなかった(散々利用しておきながら申し訳ない)。
nora.iconまた一段と自分好みの見た目になってしまったな。
nora.icon最強にするまで模索していきます。
nora.icon自己流を貫いているので「やってみて出来たっぽいならそれでいいとする」という感じでいる。まずかったらそうわかったときに直す。
nora.icon参考にする人というのがいるかどうかわからないけど、何も責任を持てない!
東京オリンピック開会式
nora.icon面白いことやってるなあと思うけど国内のウケがあまりにも悪そう。(負のオーラが怖いので他の人の反応は一切見てない)
nora.icon直前に新国立競技場のドキュメンタリー見てたから「木」についてほほうと認識を改めていたけど、日本的な木造って(単に木を使っているだけでなく)木の使い方の意味で独特なんかな。
nora.icon林業とか祭りとかに限らず、なんとなく実質のところで日本を支えてきたものや実質のところで日本と言えばこれというものに対して当の日本人がそれを推す気があんまりない感じがある。
nora.iconゲーム音楽で入場は良いね。日本人が作った日本人のセンスが反映された音楽だし印象として中立な感じがある。
nora.icon安倍マリオでバトンタッチしたのに開会式でゲーム要素なかったら逆に「あれはなんだったんじゃ」になってしまう。
nora.iconプラカード持ってる人の衣装はパッと見悪くない感じだけどプラカードは残念過ぎる…。
nora.icon書き文字でドーンとやればよくなかった? スプレーアートみたいな迫力で。
nora.icon道を作っている人たちの衣装はちょっと微妙。
nora.icon衣装のカラーリングや形が色々で見ていて楽しい。
nora.iconあとテンション高いところあると楽しいw
nora.icon衣装に日本要素を入れている国があったけどそういうこともあるのかとちょっとびっくりしたな。
nora.icon競技場の席がモザイク状に色が混ざってるから遠くから見ると人いるかのようだな。
nora.icon宣誓後の映像、編集がすごい。かっこいい!
nora.icon謎のテレビクルーの小芝居。(何あれ?)
nora.iconえっ、その後何も回収されずに終わった??? 橋本聖子さんの挨拶になってしまったが?
nora.iconこれだけは本当に何一つ擁護できないのだが。意図がわからない。
nora.iconまた出てきたけどマジで存在意義がわからなすぎた。
nora.icon箱を手で動かしてエンブレム作るのいいね。
nora.iconドローンすげぇ!?
nora.iconエンブレムが球体になって地球になった。すごい。
nora.iconイマジンの歌詞もドローンで表示してたらしい。すごい!
nora.icon「イマジン」か〜。ジョン・レノンとオノ・ヨーコの曲だから日本要素があるとも言えるのか。
nora.iconもしオノ・ヨーコさんが関わっていなかったら好意的には受け取れなかったかも。曲としては嫌いじゃないけども。
nora.iconなんか今となっては「アップデートされていない」ということの象徴になっていて、「嘆き」の空気が強過ぎるんだよなあ。
nora.icon橋本聖子さんの挨拶を聞いてると、何も不祥事がなければなんだかんだきっと良い大会になったのになあと思ってしまう…。
nora.icon普通にコロナによる苦難より関係者への不信感が辛かったし。次から次と人間性を疑う出来事が続くの苦し過ぎる。
nora.icon「オリンピックの理念」に対してずっとピンと来ないままでいるのだが、それは日本が平和だからかな…。
nora.icon理念にピンと来ないんじゃなくて、理念の言い表し方に馴染めないのだ。文化の違いによるものかも。
言葉の経済効率→俳句の夏井いつき先生が良句を褒める時によく使う表現
nora.iconピクトグラムの仮装大賞(?)、めっちゃ面白かった。中の人お疲れ様です…。
nora.icon劇団ひとり以降のはちょっと「今からやんのか」感がしんどい…。
nora.icon小芝居はあんまり好きじゃなかったけどスイッチ入れてくのと歓迎の演出は楽しかった。
nora.iconでも正直「今から何すんの」という気持ちで倦んでよく見てなかった。
nora.iconジャズピアノよくわからんかった。
nora.icon歌舞伎とのコラボ?になってるようななってないような…。
nora.iconやっと聖火来た〜!
nora.icon長嶋さん…。歩くの大変そうだ…。王さんは元気そうでよかった。
nora.icon聖火が高火力過ぎて動揺でちょっと笑ってしまったんだけど普通こうだっけか…。
Googleのホームページからできるゲーム
nora.iconこれ、「日本人が『これが日本だ』と言いたい像」とも「外国人が『これが日本なんでしょ』と言いたい像」とも違う、「外国から日本を正しく見た時の日本らしさ」みたいなものを感じた。その感想が正しいかわからないけど。
nora.icon鳥居を置いちゃうところが素朴に日本っぽいといったらこれだよねみたいな感じがある。
nora.iconでも意図があって敢えてやってることなのかなこれ? どこかで神道要素を突っ込みたい的な?
nora.icon日本人は基本的に鳥居を「身近な日本らしいシンボル」として考えていて(蔑ろにされたらキレるが)、他の宗教のシンボルほど如何にも宗教的な意味合いというのは自覚していないが、他の宗教国で同じことをやったらなんか違和感を覚えるかもしれない。
nora.icon例えばキリスト教徒とか(多分割合的にキリスト教徒が一番多いだろう)が伏見稲荷大社を観光地として珍しがって鳥居をくぐっても、特になんとも思わない。
nora.iconそしてゲームとして楽しい。
2021/07/24
オリンピックの演出・プロモートについて
(他の人の意見とかは見ていない)
nora.iconなんか日本のアイデンティティのアピールに偏り過ぎなのでは。
nora.iconメンタルが途上国という感じがする。
nora.iconそういえばマスコットを選ぶときも、私は当然に狸と狐のやつが良いと感じたけど、それもなんか考え方が偏っていたという気がしている。
nora.icon日本古来のとか日本の伝統のとか、そういうのをなぜオリンピックで推したくなるのかという。
nora.icon日本流のおもてなし、日本流の正装、というのとは別のマインドが働いている。(それの是非はわからない)
nora.icon開会式、大した派手さのない芸術的表現って祭典でやるものとしてどうなんだろう。
nora.icon盛り上がっていこうぜ〜!感は常にあった方がよいのでは。
nora.icon長時間人を拘束しておいて(たまたま観客は無観客になったけど)、つまらない瞬間があるっていうのは許されないのではと思った。
nora.iconエンターテインメント性の塩梅というか…。
nora.iconスポーツって素晴らしい!世界中の国々がひとつところに集まるって素晴らしい!この素晴らしいことを続けていくためにみんな仲良くしよう!世界を守ろう!オオーッ!というノリだけじゃ駄目なのかな?
nora.icon全ての開催地が、自分の国なりの表現を使って、常に同じメッセージを表現していく式典にしたらいいんじゃないのかね。
nora.iconそのメッセージを演出でやらないで会長たちの挨拶にやらせると今回のような大演説になってしまうのでは…。
開会式関連
nora.iconミュンヘン五輪の被害者追悼は劇的なことだったのだな。
nora.iconコバケン切ったのは当然である…。
nora.iconそういえば開会式にミライトワとソメイティいなかったやんけ。そんなことある???
nora.iconオリンピックってなんなのか全然わかってないんか。
nora.iconあと昨日↑で安倍マリオでバトンタッチ云々と書いたけど、リオの閉会式からの地続き感が全くなかったよな。別にマリオを出せばいいという話ではないけど、「つながり」「まとまり」という概念がもはや日本に無いんだなという印象になってしまった。
nora.icon使われたゲーム音楽がマリオとかと関係ない感じだったの、リオ閉会式の利権関係の努力を全て水泡に帰した感ある。
nora.iconそういや木への感謝みたいなのは新国立競技場見ればわかるしそれ以上押す必要はなかったのかもしれないとぼんやり思った。あと新国立競技場建てただけでは国内に共通認識が生まれないよねという…。
nora.iconというかそもそも、木造建築をこんなに立派に造れる森の豊かさを表現するというのならまだしも、切っちゃった木材の加工の風景はあんまりありがたくない感じがするかもしれん。
nora.iconあとアクロバットが映えない配置だったのがシンプルに残念。
nora.iconそれぞれの演出が政治的にどういう意味を持ちうるかよくわからないので是非を判断することは全然できない。誰かの憤激や呆れを見て「そうなのか」と思う。それが正しい認識なのかもよくわからない。
nora.iconしかしとりあえず「バラバラだったな」という気持ちだけはある。あと人間的な温かみを感じなかった。演出のための演出であり、心を動かされることなくずっと冷静に見ていた。演じていた人たちやスタッフの苦労は感じたし、労いたい気持ちはあるが、これほどワクワク感のない式典もないなと思わざるを得ない。
nora.iconドローンとピクトグラム再現だけだな、「おおーっ」となったのは。ピクトグラムほんと良かった。
nora.iconリオの開会式は楽しかったのになあ。
nora.iconそういえば天皇陛下の開会宣言の時に菅総理が遅れて立った形になったの、そもそも立つ予定じゃなかったっぽいのでもしそうなら国民の怒りを買ってるの気の毒だな。
nora.icon本来どうなりそうだったかを見ると自分のもやもや全部解決されてて実現していたらどんなにか素晴らしかっただろうと思った。
nora.icon比べてしまえば実際に行われた開会式はほぼゴm
nora.icon出演しなければならなかった演者の人たちはお疲れさまでした。
nora.icon人間性を疑う場面によく電○の二文字が登場するんですけど単に個人的なバイアスの問題ですかね?
nora.icon無礼な人間は一生無礼で気が回らないんだろうな、と感じる出来事があり、生きるのが若干面倒くさくなった。
nora.icon自分の言動についての記憶力なさそう。
nora.iconLINEマンガで『幽麗塔』(乃木坂太郎先生)を読み始めた。
nora.iconなんか最近目に入って読むような漫画が大体「どの登場人物にも感情移入できる要素があって~」という感じだったから、どの登場人物にも全く感情移入できそうにない漫画を久々に読んで「他人事として読む」という感覚をものすごく久しぶりに体感した感じがする。
nora.icon感情移入できないというか、個々の登場人物について好意的に見ようという気に全くならない。話は面白そうなので読んでいるんだけど。
nora.iconサスペンス物はこうだよね、という感じかもしれない。そういうタイプの話を久しく読んでいなかったけど。
nora.icon外国がどうなのかはわからないが、日本は「外に見せたいもの」と「内で楽しみたいもの」の間にはっきり境界線を作りやすい気がするな…。
nora.icon内で楽しむなら楽しいものを、外に見せようとされるとなんかすごく不愉快になるということがよくある。
nora.icon「楽しい」と感じるもの自体をイコール「低俗だ」と認識している層というのも分厚く存在していそう。
nora.icon「言い過ぎる」をやられたら嫌なら「言い過ぎる」はしてはいけないよね。
2021/07/26
nora.iconやりたいことはよくわかるし実際やることがないではないけど…(のらてつとしては多分やったことないが)
nora.icon「悟られないように」は結構難しいというか、ぼかしているようでも自分が思っているより伝わってしまう。
nora.iconぼかし返しが発生することもある。高度な情報戦である…。
nora.iconどちらかというと、いつでも逃げられるように自分に退路を作るという意味でのぼかしを考えるのが現実的かなと思う。
nora.icon絡まれた時に「えっあなたこの自覚があるんですか、それは全然考えてませんでした」みたいな形で逃げるとか(結局不和は避けられないだろうしハイリスクであることには変わりはない)。
nora.iconあと、如何に印象を丸めても「批判したいんだな」というのはそうそう消えないので、自分が暗に否定したい人間より広い範囲に刺さってしまう可能性が高い。
nora.icon暗に突きつけてやりたい相手が仮に鈍感だとして、その人に悟られずに済んだとしても、代わりにいつも自分が批判されやしないかとビクビクしている人たちを予想外に不安にさせてしまったりするので、知らないところで自分が損する可能性もなくはないという。
nora.icon相手を否定したい、おもちゃにしたい、恥をかかせたいとかいうネガティブな動機ではなく、「この人がもう少し攻撃性下げてくれたらな…」という願いによってさり気なく情報を流すという試みは多分そこかしこに結構ある。
nora.iconそれが功を奏しているかというと…まあ粘り勝ちしている場合もあるけど、それで考えを改めるような相手ではないのであった~完~というパターンの方が多そう。
nora.icon相手が冷静さを失っているだけなら、攻撃性を下げる情報のシェアで解決することもある。
nora.iconあと「いつも言いたいことを婉曲に言うよねあいつ」「ナチュラル上から目線で自分のこと賢いって思ってそう」みたいに見なされるリスクも割とある。
nora.iconぼかして書く時はそれをぼかすことに意識が向いているからその瞬間だけぼかせていたら良いような感じがしてしまうが、ぼかそうとしていない時にもっと鋭かったり敏かったり攻撃的だったりな発言をしていると、ぼかしの部分が浮くので「あ、さり気なくわからせようとしてぼかしたんだな」とばれる。
nora.icon天然ふわふわキャラを予め構築してそれを徹底するくらいの覚悟がないと結構ボロが出る危険がある。
nora.icon副産物として、ぼかそうとしているうちに普通に物事に対する考察が進んで自分が一人で得することはある。
nora.icon一般化抽象化しているうちに「ああ、つまり一段上から見るとこういうことだったんだな」と気づくとか。
nora.icon多分「自分はこういう人間嫌いなんだよ!」と対決を辞さない覚悟でわかりやすく表明したほうが概ねトータルでは得をする可能性が高いと思うけど、どういう相手(陰湿さとか取り巻きの規模とか権力の有無とか)にもやもやしているかで対決姿勢を取った時の損失の幅が変わってしまうし、「はっきり言ったほうがいいよ」とは言えない。
nora.icon対決してしまうと「人と喧嘩するような人は怖くて面倒くさい」という層と対立してしまうリスクもあるね。
nora.iconあと万が一自分のほうが明らかに非常識だったときには悲しい結末が待っているかもしれないしな…。